ヴェルサーチ

VERSACE

ジャンニ・ヴェルサーチェが1978年設立。(現在は妹ドナテラ ヴェルサーチェがデザインを担当)

ヴェルサーチェについて

ヴェルサーチェ(VERSACE)はミラノのラグジュアリーブランド。

メデューサのロゴがシグネチャー。メンズ及びウィメンズを展開。ウェアからアクセサリー、ホームコレクション、キッズ、香水など幅広く展開している。ホテル事業も行っており、ドバイ、ゴールドコーストに「パラッツォ・ヴェルサーチェ」を展開している。

80年代には、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)、ジャンフランコ フェレ(GIANFRANCO FERRE)と並んで、ミラノモードの「3G(スリージー)」と呼ばれ、以降、常にイタリアファッションを引っ張ってきた。

もともと日本では「ヴェルサーチェ」と呼ばれていたが、2018年より、本国イタリアの発音に近い「ヴェルサーチェ」という表記が使われるようになった。

ヴェルサーチェの沿革・歴史

創業者のジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)は、1946年南イタリアのレッジョ・カラブリアに生まれる。母親がブティックを経営していた影響で、早くからファッション業界に関心を持つ。母親の下で働いた後、ミラノへ向かう。その後「カラガン」でキャリアを積む。カッティング技術が評価され、「ジェニー(GENNY)」のデザイナーにスカウトされ、73年にデザイナーに就任。その後「マリオ・ヴァレンティノ」の皮革部門のデザイナーを経て75年、「コンプリーチェ」レザーウェアのデザインを手掛ける。

78年、独立し独自のコレクションを発表する。天然素材を使用、最高級のファッション、巧みなカッティングで評判を得る。ミラノのスピーガ通りに第1号店をオープン。このときヴェルサーチェ社を設立するが、ともに会社を設立したのが兄のサントで、サントは当時から現在に至るまでジャンニ・ヴェルサーチェ社の社長を務める。

81年に香水の発売を開始。82年、イタリアの婦人服デザイナーの最高賞である「ゴールデン・アイ賞」を受賞。83年、ニューヨークの「カティ・サーク賞」を受賞。一気に世界にデザイナーとしての才能を認められるようになる。88年には「Stanley Marcus Award」を受賞。

90年、パリで初のオートクチュール・コレクション「アトリエ・ヴェルサーチェ」をホテル・リッツで発表。95年、映画「ジャッジ・ドレッド」の衣装を手がける。

プレタポルテ「ジャンニ・ヴェルサーチェ」、ヤングライン「ヴェルサス(VERSUS)」、ジーンズライン「ヴェルサーチェ・ジーンズ・クチュール」、オートクチュールラインの「アトリエ・ヴェルサーチェ」、スポーツラインの「VERSACE SPORT」、ビジネス向けのラインとして「ヴェルサーチェクラシック」、93年には子供向けの「ヴェルサーチェヤング」、コスメの「ヴェルサーチェ ビューティー」など複数のラインを次々発表し、ライセンスも含めて順調に事業を拡大していく。

97年7月、ジャンニ・ヴェルサーチェはマイアミのサウスビーチでゲイの高級売春夫で連続殺人犯、アンドリュー・クナナンによって射殺さる。クナナンは事件から1週間後、警察の包囲下のなかで自殺。ジャンニとクナナンは彼の恋人と噂されたが、闇の中に包まれている。ちなみにヴェルサーチェ自身、自分が同性愛者であることは表明していた。

80年代はセクシーで超贅沢な最高級素材を使ったシンプルでかつ巧みなカッティング、縫製とも完成度が高く、セレブ層向けに人気を博す。ショーにはオペラを取り入れるなど、まさにクラシカルなゴージャスを演出した。その後90年代は作風が徐々に色彩が派手になり、やりすぎ感のある衣装になるが、レニーグラヴィッツ、シェリル・クロウ、エリザベス・ハーレー等を顧客に持つ。対してドナテラはショーのBGMにロックを流すことが多く、ジャンニのファッションによりセクシーで官能的要素を取り入れた。

1998年春夏シーズンから既製服、オートクチュール共に妹のドナテラ ヴェルサーチェが継承。

2009年、クリストファー ケインが「ヴェルサス」のアクセサリー(バッグとシューズ)をデザインすることとなる。その後、2015年にアンソニー ヴァカレロがクリエイティブ ディレクターに就任したが、翌年に退任。

2011年、H&Mとのコラボレーションコレクション「VERSACE for H&M」を発表。

2015年、ヴェルサーチェが東京・銀座に旗艦店をオープン。 同年、日本初「VERSACE HOME」を銀座にオープン。2018年、マイケル・コースが、 ヴェルサーチェを買収。これに伴いマイケル・コースは、ファッションラグジュアリーグループとして社名をカプリ・ホールディングスに変更した。