アレキサンダー マックイーン

Alexander McQueen

ブランドのはじまり

1992年、アレキサンダー・マックイーンが自身の名を冠したブランドを立ち上げる。

アレキサンダー・マックイーンについて

アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)はイギリス、ロンドンを拠点とするファッションブランド。コレクションはパリにて発表。コンテンポラリーラインとして「マックキュー アレキサンダー・マックイーン(McQ Alexander McQueen)がある。

創業者はアレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)。1969年タクシードライバーの子供としてロンドンに生まれる。中学卒業後、パブで仕事をしていたが長く続かず、仕立屋職人が人手不足というニュースをたまたま見たことがきっかけで、サヴィル・ロウの仕立職人の見習いをはじめる。ここからファッションのキャリアがスタート。

アンダーソン&シェパード、ギーブス&ホークスで計3年間仕立てを学び、ロンドンの舞台用の衣装を扱うバーマンズ&ネイサンズでキャリアを積む。その後、コージ タツノの元で働くが、間もなくコージ タツノが倒産。これを機にイタリアに渡り、ロメオ ジリ等の下でキャリアを積む。

ロンドンに戻り、セントマーチンズにパターンカッティングの講師として雇われる。このとき若干21歳。また、その間セントマーチンズの大学院課程を卒業する。

91年、卒業コレクションがエディターの目に留まったことがきっかけでデビューが決定。92年、自身のブランド「アレキサンダー・マックイーン」を立ち上げる。93年、ロンドン・コレクションにてデビュー。96年、ジバンシィのデザイナーに大抜擢される。

マックイーンの本質は形式的なものからの反発にあった。ジバンシィに抜擢された当時のコレクションは、周囲から酷評されることもしばしばあった。新聞雑誌などのインタビューで、その時期は精神的につらかった時期と語っている。例えば、クライアントの年齢層を考えると若いモデルよりもイメージしやすいからという理由で、オートクチュールにモデルを使わずにマネキンを使用。その他、ファッションショーでもモデルの顔にペインティングをして、モデルの感情・表現力を取り払うスタイルをとるなど様々なチャレンジを行った。

マックイーンは「まず、ブランドの歴史やユベール・ド・ジバンシィの時代を全て忘れることからはじめました。」との本人のコメントにあるように、自分流のデザインを軸とした。マックイーンの就任後、その話題性やデザインから売上も伸びたが、あくまでマックイーン流を貫いたデザインを、より機能的にしたため、と言われている。それでも彼が「天才デザイナー」であることは誰もが認めていた。

96年、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ジ・イヤーを受賞。若干26歳での受賞だった。99年、活動の本拠をロンドンからニューヨークに移して話題を集めるが、2000-2001年秋冬より再びロンドンでコレクションを発表。この時カジュアルライン、「マックイーンズ」を開始。

2000年、マックイーン社の株をグッチのグループ運営企業に売却。これによりジバンシィ社の親会社に当たるLVMHとの関係が拗れ、契約期限の終了前にデザイナーを更迭される。2002年春夏より自身のブランドをパリコレクションにて発表。同年「ハンマツ・オブ・サヴィルロー」が縫製するクチュールのメンズコレクションを発表。

2006年春夏、プーマとのコラボレートで「Alexander McQUEEN PUMA」を発表。2006年春夏シーズンからトレンド指向、若者向けのカジュアルウェア「マックキュー(McQ)」をスタート。同年、英国赤十字のチャリティのためにブシュロンとコラボレートしたノヴァックバッグを発表。

また、2007年春夏シーズン、サムソナイトの高級ラインであるブラックレーベルとのコラボレーションで、クロコダイルのレザーを使用したキャリアケースなどが発売された。

2010年2月11日、アレキサンダー・マックイーンが40歳で死去。世界の人々が悲しんだ。ブランドの親会社であるグッチ・グループは、ブランド継続を決定し、翌月のパリ・ファッション・ウィークでは遺作となってしまったコレクションが発表された。

2010年5月、2000年よりウィメンズウェアのヘッドデザイナーとして活躍していたサラバートンがブランドのクリエイティブ・ディレクターに就任した。2011年、サラ・バートンがブリティッシュ・ファッション・アワードのベスト・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。

2014年、アレキサンダー・マックイーンの日本国内初の旗艦店が青山にオープンした。2015年、グローブ・トロッターとコラボでスーツケースを発表。

2020年2月、サラ・バートンが導入した教育プログラムの一環としてアーカイブ生地を英大学の学生に寄付する新たな取り組みをスタート。