ジバンシー

GIVENCHY

1951年、ユベール・ド・ジバンシィがコレクション発表。52年、ジバンシィ社を創立。

ジバンシィについて

ジバンシィ(Givenchy)はフランスのラグジュアリーブランド。

創業者はユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)。1927年2月21日、パリ郊外のボーヴェ生まれ。古い由緒ある貴族家系出身で父親は公爵の称号を持つ。ロベール・ピゲ、ジャック・ファットのメゾンを経で修行を積み、エルザ スキャパレリのモデリスト兼主任となる。

51年、24歳での初コレクションでは資金面の問題もあり、コットン素材のシンプルなドレスやブラウスを発表。中でもシャツ地で作った開襟、ラッフル袖の「ベッティーナ・ブラウス」は話題を呼ぶ。その斬新なアイデアとシャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼ばれた。52年2月2日、ジバンシィ社を創立。

54年、オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の衣装を手がける。オードリー・ヘップバーンはジバンシィの象徴。女性の体のラインを美しく見せるディオールのニュールックとは対照的で「自由」で体のラインを強調しないスタイル。その他、ジバンシィはペップバーンに「ティファニーで朝食を」「おしゃれ泥棒」などで衣装を提供した。

55年、「自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。 56年、レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。62年に香水を発表。72年に男性用化粧品を発表。1973年、メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。

87年LVMH社が香水関連の会社パルファム・ジバンシィを買収、翌年の88年にジバンシィ(クチュール)を買収。ユベール・ド・ジバンシィは名誉会長兼芸術部門の責任者として創作活動に専念することになった。

95年、オートクチュール・コレクションを最後にユベール・ド・ジバンシィが引退。

後任にはジョン ガリアーノが抜擢される。 96年、ガリアーノはディオールのデザイナーに就任し、後任でアレキサンダー・マックイーンがオートクチュールとプレタポルテの主任デザイナーに就任。2000年春夏よりマックイーンはメンズラインも手がける。彼の手腕により、ジバンシィが再び隆盛期を迎える。しかし、これまでのジバンシィ色はなくなり、マックイーンの色が強くなったことから、プレスからは批判を受けることもあった。マックイーン自身もジバンシィのデザイナーを引き受けたことは失敗だったと語っている。しかしマックイーンは自社株の大半をグッチグループに売却。これを機にLVMHグループとの関係が悪化し、ジバンシィを離れることになった。

2001-02年秋冬より、ジュリアン マクドナルドがオートクチュールとプレタポルテの4代目の主任デザイナーに就任。ファーストコレクションはオードリー・ヘップバーンとジバンシィの回顧展的な内容だった。

2003年12月、ジバンシィのメンズウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターにオズワルド ボーテングが就任。(ボーテングは後に担当が代わり、コンサルタントになる)。

2005-06年秋冬より、リカルド ティッシがレディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに就任。その後、ティッシがメンズ・レディースともに手がけることになった。2008年、マドンナがワールドツアーにて、ジバンシィのドレスを着用して話題となる。

2017年、約12年間クリエイティブ・ディレクターを務めたリカルド ティッシが退任。後任として、元クロエのクレア ・ワイト・ ケラーが新アーティスティック・ディレクターに就任。ウィメンズ・メンズコレクション、アクセサリー、そして オートクチュールコレクションまで 全てのコレクションにおけるディレクターとなった。

2018年、創業者のユベール・ド・ジバンシィが死去。 91歳だった。

2019年6月、クレア ・ワイト・ ケラーが初めて本格的に手掛けた2020年春夏メンズコレクションを、フィレンツェで行われるピッティ・ウォモでゲスト・デザイナーとして発表する。

2020年4月、クレア ・ワイト・ ケラーが約3年間務めたアーティスティック・ディレクターを退任。2018年にはサセックス公爵夫人のメ―ガン・マークルのウエディングドレスも手掛けた。ラストコレクションは2020-21年秋冬コレクションとなる。

2020年6月、新クリエイティブ・ディレクターにマシュー・M・ウィリアムズ就任。ファーストコレクションを10月にパリで発表する。